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弁天池と二つの大震災〜吉原

大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災において、吉原の遊郭で死亡した500人を超す遊女は、その大多数の490人が吉原の弁天池で亡くなったという。

吉原は遊女の逃亡を防ぐために出入り口が大門のみという構造にしてあるため、大震災によって発生した大火災から逃れようとした遊女達が逃げ惑い、次々と弁天池に身を投じるような形となって命を落としてしまったらしい。

弁天池は昭和34年(1959年)に吉原電話局の建設の際に殆どが埋め立てられて下の画像のような小さな池になってしまったが、300年前に日本橋から吉原の遊郭が移転してくる際に湿地を埋めたと伝えられているので、元々はかなり大きな池だったようだ。
(こちらのブログに関東大震災時の弁天池の画像あり→SACの部屋

弁天池0313-3

吉原電話局建設のために埋め立てられてしまった弁天池は、現在ではたったこれだけの小さな池になってしまった。

弁天池の看板

ネットを被せてあるのは、不心得者が金魚や鯉を勝手に持ち出すためのようだ。

弁天池0514-3

看板には金魚云々と書いてあるが、多くの鯉が泳いでいて人面魚っぽい鯉も何匹か確認できる。

その関東大震災から88年後の2011年3月11日に発生した東日本大震災では、現在では吉原神社の一部となっている弁天池の燈籠が三基とも傾いて、そのうち一基は完全に倒壊という事態に陥ったが、逆に言えばその程度で済んだのも大正15年に建立された大震火災殃死(おうし)者追悼記念碑という辞書を引かなきゃ読めない慰霊碑で慰撫された遊女の霊が犠牲者の発生を抑えたのかもしれない。

弁天池0313-1

大震災発生二日後の3月13日の弁天池の燈籠。

弁天池0313-2

大正15年に建立された大震火災殃死(おうし)者追悼記念碑。

築山の上に立つ観音像とともに、訪れた際には静かに手を合わせ祈りを捧げたい。

弁天池0514-1

大震災発生約二ヶ月後、弁天池の敷地を通りから撮影。

完全に倒壊してしまった燈籠は撤去され姿が見えない。

弁天池0514-2

残りの二基は復旧され元の姿に。

吉原神社

弁天池を管理する吉原神社。その歴史や位置付けから考えると意外にこじんまりとした印象を受ける。

吉原神社は明治5年に玄徳稲荷大神、明石稲荷大神、開運稲荷大神、榎本稲荷大神、九郎助稲荷大神の五つの稲荷社を明治8年に合祀し、関東大震災後には吉原弁財天を合祀して現在に至り、浅草七福神に数えられている。

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