軍艦島で巨大廃墟群を見学する(4/4)〜長崎
桟橋に横付けした船は、昔の日活映画で小林旭が片足を乗っけてカッコつけてたビットとかいう出っ張りに係留索でしっかり繋ぎ留めてから上陸を開始する。
軍艦島から15メートル沖合にある岩盤に杭を打ち込んで作られた、ドルフィン桟橋という小さな桟橋に上陸して階段を上がり、本島と繋ぐ鉄製の狭い橋を渡ると、見学用に新しく設けられた通路とトンネルを通って、第一見学広場へと集められる。
ここで、ガイドさんにひと通りの説明を受けてから見学ルートの一番奥の第三見学広場に行く(途中の第二はすっ飛ばす)。
ここでも、ガイドさんの説明を聞いて、もと来た道を戻って第二見学広場へ。
軍艦島内では団体行動で動かなければいけないらしく、約1時間の島内滞在はほとんど自由に動けずストレスが溜まる。
正直、軍艦島のことは予習してきたので、ガイドさんの説明より、できるだけ撮影をしたかったのだが、バタバタと煽られるだけで余裕のある見学ができなかったのが物足りなかった。
上陸した人数が帰りの船の人数に合わないとマズいってこともあるし、条例やら何やらで時間的制限(1時間)があるのはわかるんだけど、もう少し融通を利かせることはできないのかなと思う。
ともあれ、軍艦島に上陸して島内を見渡すと、写真で見たことのある風景とはいえ、現場の迫力には改めて気圧される。
青く澄み渡った秋の空と、其処此処に放置された瓦礫と廃墟とのコントラストが、平家物語の冒頭文の祇園精舎のくだりを想起させる。
軍艦島で目立つ建物は、7階建ての小中学校と、丘の上にある幹部用住居。そして、同じく丘の上にある端島神社の祠。
頑丈なコンクリート製の建物が崩壊していく中、丘の上で遮るものの無い場所にある祠だけ何故か現存していて、遠くからでもその存在がハッキリ確認できる。
本殿も鳥居も失った端島神社だが、この祠は住人がいなくなった今でも軍艦島の守り神として存在しているのだ。
【海の上からでもハッキリ見える祠(左上)】
第一見学広場では、主に学校、幹部用住居、神社、そして歴代の桟橋の説明で、現在の三代目の桟橋の前の桟橋はいずれも台風で流されてしまったとか。
次は第三見学広場で、ここでは正面の30号棟と、その左横にある31号棟、プール跡を見学。
30号棟は99年前の1916年(大正5年)築で日本最古の鉄筋コンクリート製高層アパートで、廃墟とは言え潮風に曝されながら未だに建っている。
31号棟は1957年(昭和32年)築で、東シナ海からダイレクトに襲ってくる高波に備えて、防波堤を兼ねた造りになっていて、壁は城壁のように分厚く、海側の窓は小さく、廊下を海側に配している。
【左が31号棟、右が30号棟】
プールは原則的には小中学校の生徒が使用していたが、午後4時以降は一般に開放されていたとのこと。
【プールの跡】
【見学路往路】
第三見学広場が最も住居に近づけるので興味は尽きないが、バタバタと第二見学広場へと見学ルートを戻ることに。
第二見学広場では、総合事務所と炭鉱の入口を見学。
炭鉱のメインの第二竪坑(第一は明治に廃止)の入口階段に染みついた真っ黒な炭は操業停止後40年以上経った今でも落ちない。
【階段は未だに炭で真っ黒】
レンガの廃墟が印象的な総合事務所の裏には作業員用の大きな風呂が三つあって、一番目に入る石炭を落とすための風呂はいつも真っ黒になるので海水を使っていたらしい。そして、三番目の風呂でようやく水道水で沸かした風呂に入ることができたとのこと。
【総合事務所】
そのぐらい炭で汚れれば坑内の事故以外にも塵肺の危険をも併せて、過酷な現場だということを改めて思い知らされる。
【見学路復路】
軍艦島の見学も以上で終わり、船へと戻る。
船の乗り降りを含めて軍艦島の滞在は1時間しか与えられないので、物足りなさだけが残る。
巨大な廃墟群が島を占有するシュールな異空間から、もっと感じるものがあるはずなのだが、その余裕が無いのが物足りない。
廃墟を眺めて写真を撮るだけではなく、ただ、あの場所でボンヤリと時間を過ごしてみたい。できれば、オープンカフェのように、白いテーブルでお茶を飲みながらボンヤリと廃墟群を見つめたり、頬杖をついて潮風を感じたりもしてみたい。
もちろん、それは叶わぬことだとはわかってはいる。けれども、あの場所で時間を贅沢に使って過ごしてみたい欲求に駆られる。
そんな思いを抱きながら、後ろ髪引かれるように船へ乗りこみ、未練がましく軍艦島を見ていると、軍艦島は夕陽を浴びた波の彼方へと徐々に遠ざかり、やがて視界から消えていく。
キラキラと輝く夕陽を浴びた波間に消えていった軍艦島の残像を目に焼き付けて、クルーズ船は長崎市街へと戻り、シュールな空間から現実の世界へと連れ戻される。
【軍艦島夕景】
長崎の街中に戻ると、長崎市街から指呼の間(と呼ぶにはちょっと遠いかな?)の距離にあのような場所があることに違和感を感じる。この空間的な隔たりと心理的、時間的な隔たりとの隔たりが(ややこしいな)、ツアーを終えた今でも軍艦島への思いを募らせている。
次の機会はいつになるのか、再び上陸禁止になるまでに行くことができればと思う。思うと言うより、願う。
軍艦島から15メートル沖合にある岩盤に杭を打ち込んで作られた、ドルフィン桟橋という小さな桟橋に上陸して階段を上がり、本島と繋ぐ鉄製の狭い橋を渡ると、見学用に新しく設けられた通路とトンネルを通って、第一見学広場へと集められる。
ここで、ガイドさんにひと通りの説明を受けてから見学ルートの一番奥の第三見学広場に行く(途中の第二はすっ飛ばす)。
ここでも、ガイドさんの説明を聞いて、もと来た道を戻って第二見学広場へ。
軍艦島内では団体行動で動かなければいけないらしく、約1時間の島内滞在はほとんど自由に動けずストレスが溜まる。
正直、軍艦島のことは予習してきたので、ガイドさんの説明より、できるだけ撮影をしたかったのだが、バタバタと煽られるだけで余裕のある見学ができなかったのが物足りなかった。
上陸した人数が帰りの船の人数に合わないとマズいってこともあるし、条例やら何やらで時間的制限(1時間)があるのはわかるんだけど、もう少し融通を利かせることはできないのかなと思う。
ともあれ、軍艦島に上陸して島内を見渡すと、写真で見たことのある風景とはいえ、現場の迫力には改めて気圧される。
青く澄み渡った秋の空と、其処此処に放置された瓦礫と廃墟とのコントラストが、平家物語の冒頭文の祇園精舎のくだりを想起させる。
軍艦島で目立つ建物は、7階建ての小中学校と、丘の上にある幹部用住居。そして、同じく丘の上にある端島神社の祠。
頑丈なコンクリート製の建物が崩壊していく中、丘の上で遮るものの無い場所にある祠だけ何故か現存していて、遠くからでもその存在がハッキリ確認できる。
本殿も鳥居も失った端島神社だが、この祠は住人がいなくなった今でも軍艦島の守り神として存在しているのだ。
【海の上からでもハッキリ見える祠(左上)】
第一見学広場では、主に学校、幹部用住居、神社、そして歴代の桟橋の説明で、現在の三代目の桟橋の前の桟橋はいずれも台風で流されてしまったとか。
次は第三見学広場で、ここでは正面の30号棟と、その左横にある31号棟、プール跡を見学。
30号棟は99年前の1916年(大正5年)築で日本最古の鉄筋コンクリート製高層アパートで、廃墟とは言え潮風に曝されながら未だに建っている。
31号棟は1957年(昭和32年)築で、東シナ海からダイレクトに襲ってくる高波に備えて、防波堤を兼ねた造りになっていて、壁は城壁のように分厚く、海側の窓は小さく、廊下を海側に配している。
【左が31号棟、右が30号棟】
プールは原則的には小中学校の生徒が使用していたが、午後4時以降は一般に開放されていたとのこと。
【プールの跡】
【見学路往路】
第三見学広場が最も住居に近づけるので興味は尽きないが、バタバタと第二見学広場へと見学ルートを戻ることに。
第二見学広場では、総合事務所と炭鉱の入口を見学。
炭鉱のメインの第二竪坑(第一は明治に廃止)の入口階段に染みついた真っ黒な炭は操業停止後40年以上経った今でも落ちない。
【階段は未だに炭で真っ黒】
レンガの廃墟が印象的な総合事務所の裏には作業員用の大きな風呂が三つあって、一番目に入る石炭を落とすための風呂はいつも真っ黒になるので海水を使っていたらしい。そして、三番目の風呂でようやく水道水で沸かした風呂に入ることができたとのこと。
【総合事務所】
そのぐらい炭で汚れれば坑内の事故以外にも塵肺の危険をも併せて、過酷な現場だということを改めて思い知らされる。
【見学路復路】
軍艦島の見学も以上で終わり、船へと戻る。
船の乗り降りを含めて軍艦島の滞在は1時間しか与えられないので、物足りなさだけが残る。
巨大な廃墟群が島を占有するシュールな異空間から、もっと感じるものがあるはずなのだが、その余裕が無いのが物足りない。
廃墟を眺めて写真を撮るだけではなく、ただ、あの場所でボンヤリと時間を過ごしてみたい。できれば、オープンカフェのように、白いテーブルでお茶を飲みながらボンヤリと廃墟群を見つめたり、頬杖をついて潮風を感じたりもしてみたい。
もちろん、それは叶わぬことだとはわかってはいる。けれども、あの場所で時間を贅沢に使って過ごしてみたい欲求に駆られる。
そんな思いを抱きながら、後ろ髪引かれるように船へ乗りこみ、未練がましく軍艦島を見ていると、軍艦島は夕陽を浴びた波の彼方へと徐々に遠ざかり、やがて視界から消えていく。
キラキラと輝く夕陽を浴びた波間に消えていった軍艦島の残像を目に焼き付けて、クルーズ船は長崎市街へと戻り、シュールな空間から現実の世界へと連れ戻される。
【軍艦島夕景】
長崎の街中に戻ると、長崎市街から指呼の間(と呼ぶにはちょっと遠いかな?)の距離にあのような場所があることに違和感を感じる。この空間的な隔たりと心理的、時間的な隔たりとの隔たりが(ややこしいな)、ツアーを終えた今でも軍艦島への思いを募らせている。
次の機会はいつになるのか、再び上陸禁止になるまでに行くことができればと思う。思うと言うより、願う。
JUGEMテーマ:廃墟
- 2015.09.30 Wednesday
- 長崎を歩く
- 23:03
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- by ジョニー大倉山